ボランティア活動

チェルノブイリ原発事故被爆者へのヨーガ療法指導報告

 
昨年、20081214日(日)の兵庫県西宮市にてのヨーガ修行会のとき、木村慧心先生が「旧ソビエトで22年前に起こったチェルノブイリ原子力発電所の事故で多くの人達が被曝し、現在、治療の手立てもなく事実上放っておかれる状態にあるため、来年の20091月末に誰かウクライナの首都キエフへヨーガ療法を指導するために行ってくれませんか」と言われた。ただし、ボランティアで行くため、かかる費用は自腹を切らないといけないとのこと。お金が幾ら掛かるのか分からなかったが、その時、何故か行かせていただきたいと思い、直ぐにその旨をお伝えしたところ、2日後に電話があり126日(月)から31日(土)までの6日間の日程で行くことが決まった。しかし、聞くところによると1月のキエフは-20℃になる日もあり、とても寒いとか、年末にはロシアが天然ガスの供給をストップし、テレビのニュースで現地の人が家具を壊して蒔きストーブにくべている映像が流れていて「これはちょっと大変だな」と思い、私の家内にどうなるかなと呟いたら「向こうの人はちゃんと生活してるねんから、大丈夫やで」と言われて、それもそうかと納得してしまった。出発までの間、仕事の日程調整や、ヨーガ教室の代行を引き受けてくれる人を探すなどバタバタとしたが、快く引き受けてくれる方々に恵まれ、心置きなく出発することが出来た。また、出発の直前に天然ガスの供給が開始されたとのニュースがあり、ホッとした。また、日本ヨーガ療法学会から渡航費の半額を支援していただけると聞き、正直助かったと思った。しかし、現地でどんな人に指導するのか、スケジュールがどうなっているのかということは、現地に行ってみないと全くわからないという状態での出発であった。

1日目〉2009126日(土)

 JR尼崎駅前で日本ヨーガ・ニケタン大阪支部の杉山先生と待ち合わせをして、車で関西空港に送っていただいた。その車中で、キエフの人に渡すヨーガ療法の資料をプリンターで印刷しながらの道中であるくらいに、今回の旅は急な話であったため、時間がない中で、実に多くの人が走り回って準備をされたとお聞きした。
 関空で、日本ヨーガ療法学会の理事、岸愛光先生、福岡市からの学会員森靖子さん、そして、今回のボランティア活動を行うきっかけとなった山口県宇部市にある、平和を願う草の根グループNPO法人「えんどうまめ」代表の石川悦子さん、スタッフの春木英治さんと合流し、午前1145にフィンランド航空 AY0078便で日本を発った。
 今回、フィンランドの経由のため、ヘルシンキまで約10時間、ヘルシンキ空港で2時間の乗り換え待ちをし、それから2時間でウクライナの首都キエフに到着した。日本との時差が-7時間あるため、日本時間の真夜中の200、現地時間1900の到着となった。1月のキエフは、気温が-20℃くらいになり、寒い時は-30℃になると聞いていたため、気合を入れて空港を出たところ、外気は0℃と日本とそれほどかわらず少々拍子抜けをした。空港では、「ウクライナ・ドゥリュージバ」というボランティア団体のビクトル医師と、今回、全日程に渡ってロシア語の通訳をしてくださったチェルノブイリ救援チューブの竹内高明さんが迎えに来られた。今回の宿はホテルではなく、ウクライナ・ドゥリュージバ代表の小児科医マクハ先生の友人医師がご両親のために購入されたマンションを使わせていただくことになった。キエフのホテルは11万円ほどするため、こうしたご好意は非常に助かった。マンションに到着すると、マクハ先生、アレルギー専門のエレナ女医、事務局のナターシャさんが、我々一行のために、たくさんの料理を作って待ってくれていた。我々はへとへとに疲れていたので、直ぐにシャワーを浴びて寝るつもりであったが、それから夕食になった。しかし、皆さんの歓迎してくれる暖かい気持ちをとても深く感じた。その時NPO法人「えんどうまめ」の人たちが今までどんな活動をしてこられたのか、その一端を感じた。インドへ行くと食事が合わずに苦労することが多いため、念のためにカップのうどんや、手軽に食べられるものを持って行ったが、ウクライナの料理はとても美味しく気に入ってしまった。その夜は2230ころ床につく。ウクライナはとても寒いため、地区ごとにスチームが供給されている。そのため家の中は予想以上に暖かく、寝るときも毛布1枚で充分であった。

2日目〉127日(火)

 この日は、朝10時に出発し、ウクライナ第29音楽学校に行った。ここは、NPO法人「えんどうまめ」がチェルノブイリ原発事故の被災者支援の一環として、「ナイチンゲール」という名前の合唱団を日本に2度呼んで公演活動を行い、その収益で支援活動を行ったそうである。今年2009年の秋にも日本に来てもらい、約1ヶ月間各地で公演活動を行うそうである。その合唱団が所属している学校である。実は、前日の夜、石川さんから音楽学校でヨーガ療法を指導してもらえないかと突然言われた。被爆した人々への指導プログラムは色々と考えていたが、音楽学校の生徒さんに対しては予定外であったが、今回の旅は現地の状況を見て臨機応変に行うということなので、二つ返事で快く受けさせていただいた。
 音楽学校に向かう道中、2台の車で向かった。生徒のお父さんが1台車を出してくれたが、待ち合わせ時間に遅れたためスピードを出し、しかも携帯電話で話をしながら運転していたため、交差点で急に曲がり、後を走っていた我々が乗った車も慌てて曲がったところ、後から来た車とぶつかった。幸い怪我はなかったが示談の話し合いで少々遅れた。
 音楽学校に着くと、入り口から待っていましたとばかりに、817歳位のとても綺麗な女の子たちがはじけるように飛び出してきて大歓迎を受け圧倒されてしまった。ここでも石川さんたちの団体が今までどんな活動をしてきたか、その信頼と結びつきの深さを感じた。
 部屋に通されて挨拶を済ませてから、早速、ヨーガ療法を指導することになった。ロシア語の通訳を竹内さんにお願いして、最初に、自分たち3人のヨーガ療法士が、なぜ、ウクライナまで来たかを話し、次に、ヨーガというものは体を柔らかくさせるとか、ポーズの形が重要なのではなく、自分を客観視することが大事で、そうすると自分を上手にコントロールできるようになるとか、被爆して遺伝子が損傷してガンになるリスクをかかえている人でも健康な状態に改善させる可能性を秘めているということを免疫に関連させて説明し、また、広島市にあるエリザベート音楽大学で柳田神父さんがヨーガ療法を学生に講義することにより、演奏会で学生たちが、実力があって普段の練習では上手くいくのに、発表会などの本番になると緊張して、上がってしまって普段の実力を出せなかったのが、緊張して上がっている自分を静かに観ることが出来るようになることで、練習通りの力を発揮出来るようになったケースを話した。その後、時間があまりなかったので、実技としてブリージング・エクササイズを2種類、2回目は動きが早いのと、呼吸と体の動きとの連動が上手くいっていないように感じたので、息を吐く時に「ン~」と発声させるやり方で指導する。その後、呼吸法として、ナーディ・ショーダンを指導し、呼吸と心の相関関係を伝えた。ウクライナ人への初めての指導であったが、次の日に行う被爆した方への指導にあたっての良い体験となった。後から、音楽学校の先生から子供たちの声の出方が良くなったと言われた(本当かどうかはわかりませんが・・・)。
 そのあと、女の子たち15名による合唱が始まった。ピアノの先生から1時間30分ほど掛かると聞かされたとき、幾らなんでも、そんな長時間、勘弁して欲しいというのが本音であった。というのは、私は、合唱団のコンサートというものは、とても退屈であるという印象しかなく、えらいことになったと思った。しかし、始まってみると、瞬く間に引き込まれてしまった。とても楽しく、感動して、時間があっという間に過ぎてしまった。本当に楽しかった。それは、この10代の女の子たちが、日本から来た私たちを心から歓迎している気持ちがひしひしと伝わったからではないかと思う。私は、生まれて初めて感動して、涙が出そうになって必死になって耐えていたが、日本の曲である「涙そうそう」を聞いた時、堪えきれず思わず泣いてしまった。途中、ソロで歌う女の子が緊張していた時、仲間が冗談で呼吸法の指の形をして、やれやれと言っているのを見て、先程の説明でちゃんと伝わっていたことが分かった。
 そのあと、合唱団の子供たち、その父兄、先生方と教室で食事会が行われた。とても私たちを歓待してくれていることが言葉はわからなくてもひしひしと伝わってきた。また、ただ、食べて、飲んで、終わりではなく、合間にみんなが一言ずつ話しをするため、みんなのことがよく分かり、また、みんなとの距離感がとても近くなり、違う国の人、遠い国の人という感覚がなくなっていた。とても不思議な感覚であった。
 夕方まで過ごし、夜は合唱団が用意してくれたオペラ鑑賞に行った。「仮面舞踏会」であった。ここは1901年に建てられたルネッサンス様式のウクライナ随一のオペラ・バレエ劇場である。このオペラハウスは1911年にロシアの首相が暗殺されたところでもあるという。日本とヨーロッパの文化の違いを強烈に感じさせられる場所であった。しかし、こんなことはまたとない機会だと思いながらも、寝不足と疲れのためか、気がついたら私たち5人とも全員、強烈な睡魔に襲われて寝てしまっていた。

3日目〉128日(水)

 この日は、今回の目的であるチェルノブイリ原子力発電所の事故で被爆した人たちにヨーガ療法を指導する日である。前日、NPOの石川さんに、どんな人が来るのか、何人来るのか確認したところ、行ってみないと分からないとのことであった。また、時間もどれほど取れるか分からないとのことなので、とにかく当日、集まった人の状況をみて臨機応変にやっていくことにする。この日も朝10時に出発をして30分ほどで、慈善市民団体「ゼムリャキ」の事務所に到着する。この団体のことをゼムリャキ代表のタマーラ・レオニードヴナ・クラシツカさんが書かれた文章を以下に紹介する。
 
チェルノブイリ被災者の慈善市民団体「ゼムリャキ」の活動 
                              竹内高明 訳
チェルノブイリ原発は、ウクライナで最初の原子力発電所でした。その名は、その建設が始まった場所の近くにある町にちなんでいます。チェルノブイリは古い町で、町の名前は、ヨモギの一種を意味するものです。この地方の尽きることのない自然の豊かさが、原発職員たちの町を建設するためにやってきた、熱意あふれる人々のエネルギーと結びつきました。1970 24 日、チェルノブイリ原発から1km 離れたところで町の建設が始まり、町は、そのそばを流れているプリピャチ川にちなんで名付けられました。市民の平均年齢は26 歳でした。町は、独特の建築スタイルと、建設のすみやかさとで、見る者を喜ばせました。私たちは仲のよい家族のようにこの町で暮らし、緑と花にうもれた美しい町を愛していました。
1986 4 26 日は、52,000 人の市民にとって悲劇の日となりました。チェルノブイリ原発事故は、科学技術に起因する、世界最大の生態学的惨事とされています。4 号炉の爆発は、5,000 万キュリーに及ぶ、環境への大量の放射性物質放出を伴いました。そのため放射線による被害を受けた人は、310万人に達しています。[訳注:ウクライナ国内の被災者数]
4 27 日、プリピャチの市民たちは避難させられ、のちには原発から30km の圏内にある村々の住民も避難することになりました。事故の結果、繁栄していたこの地方は死の領域と化し、人々は運命のまにまに世界中へと離散していきました。人生の流れは断ち切られ、すべてをゼロから始めなければなりませんでした。家も、着るものも、友人も失った状態で。その時に体験したストレスは、避難民の精神状態と健康に、長期にわたる影響を与えました。プリピャチの文化会館の文書と記録は、キエフのヴァトゥチンスキー地区[訳注:現デスニャンスキー地区]に移されました。この地区は、チェルノブイリ被災者や元プリピャチ市民が最も集中して住んでいるところです。ここで、集会、サークル活動、才能ある元プリピャチ市民のコンサートを開催するなどして、プリピャチの文化会館の活動を再開するという決定が下されました。このようにして、我々元プリピャチ市民の団体である「ゼムリャキ(同郷人たち)」が生まれたのです。開かれる集会には、各地からかつての同郷人たちがやってきました。最初に課せられた課題は、ちりぢりになってしまった知人、同僚、隣人、親戚などの居所を問い合わせることでした。また、精神的なサポートを行うことが、初期において最も重要かつ必須の活動でした。
団体が発足したキエフ市のヴァトゥチンスキー地区には、当初、プリピャチ市・チェルノブイリ市・30km 圏内の村々から避難させられた4 万人以上の人たちが住んでいました。団体が支援の対象としているのは、すべての避難民、事故処理作業者、障害者、未亡人、孤児、子だくさんの家族です。これらすべての人々には、「チェルノブイリ被災者」という共通の烙印が押されています。当団体の設立後、これまでに、精神面のサポート、健康増進、社会的・経済的な支援を目的とする、数多くの多様な慈善行事やキャンペーンが行われてきました。
「ゼムリャキ」では、被災者たちの手で、プリピャチ市、チェルノブイリ市、チェルノブイリ原発事故とその影響についての常設及び臨時の展示が行われています。絵を描く被災者の作品、また刺繍や木・粘土の細工、貼り絵など、民芸品の作者たちのすばらしい作品の個展も行っています。知識や技能を身につけたい人たちや、自分の好きなことをやりたい人たちのために、大人と子どものためのサークルや教室の活動もあります。子どもたちのためには、プレゼント、お茶やお菓子、サークル活動をしている子どもたちのコンサート、ダンス、劇などを準備してさまざまな祝日を祝います。子どもたちは、市の催しや祝日の行事などにも参加しています。詩人、作家、画家、シンガー・ソング・ライターたちとの座談会や、彼らの作品のプレゼンテーションも行われます。4 26 日にあわせて一連の行事を企画し、他の団体や施設などと合同で、大きなホールでの会合、チャリティー・キャンペーン、夕べの集いなどを開催します。1998 年から、私たちは「地球を救おう」という例年の国際キャンペーンを主催していますが、各国のさまざまな団体がこれに賛同しており、インターネットでも情報が流されています。新聞、ラジオ、TV で活動報告もしています。私たちの団体とメンバーについて、多くの出版物で取り上げられています。また、子どもたちのためにもプログラムがあります。地区内の学校では、毎年4 月に、作文・詩と絵のコンクールがあり、4 26 日に選考が行われ、優秀者は表彰されます。
時が経つにつれ、被災者たちの健康が悪化しており、また団体のメンバーたちの多くが障害者になっているため、医療プログラムに主な配慮が向けられています。
1. 毎年、日本の「ジュノーの会」によって、甲状腺の検診が行われています。
2. 日本の医師の方々によって、各種のコンサルテーションが行われています。
3. 必要な人に、医薬品や医療機器が提供されています。
4. 民間療法の講演や懇談会が組織されています。
5. 新しい薬品やサプリメント、自然食品のプレゼンテーションが行われています。
2005 年、私たちは日本国外務省の支援プログラムに申請をし、提供された資金によって以下のものが購入されました。1)心臓血管強化トレーニング・マシン、2)脊椎矯正ボード、3)マッサージ台、4)マッサージ台付属ついたて、5)火災警報装置、6)自動車。現在、「健康回復」チームが組織され、被災者たちは治療を受け健康を増進させることができるようになったのです。
また近年、経済的問題のため貧窮に追い込まれている人たちのために「SOS」プログラムが立ち上げられました。人々は、自分たちの問題を訴えてきます。不可欠の医薬品を買うお金がない、手術代がない、お金がなくて親族の葬式を出せない、などなど。当団体は、必要な支援をするための可能性を探り、スポンサーを捜すのです。
「チェルノブイリの犠牲者の子どもたち」というプログラムは、チェルノブイリ惨事の結果障害者となった子どもたちのためのものです。放射線は人体に作用してさまざまな病気を引き起こし、遺伝子の情報を変化させ、子孫に有害な影響を与えるということが、学者たちによって証明されています。すでに、先天性の障害を持った子どもたちが生まれてきています。チェルノブイリの被災児童は免疫力が低く、そのためよく病気にかかります。私たちの次世代となる子どもたちは、ヴィタミン剤や、汚染されていない地域での保養による健康の強化を必要としているのです。
当団体の活動はヴォランティア的なものであり、寄附金によってのみ存続しています。ウクライナが経済的に厳しい状況にある今、私たちは財政上の困難に苦しんでいます。公の機関からのサポートを得られないまま、私たちは、世界の人々に支援を求めざるを得ません。専従スタッフはわずか2 名で、その2 名もわずかな給与を得ているだけです。他の20 名のスタッフはヴォランティアで、そのことも活動の質に影響します。
私たちの住んでいる地区には、現在22,146 名の移住者がおり、そればかりでなく、キエフ市のいたるところから人々が支援を求めてきます。それでも、「ゼムリャキ」の中心メンバーたちは楽観主義者ですし、私たちは人々を助け、よりよい将来への希望を与えようと努力しています。
以 上
 
 
事故当初は、ドイツやイタリアなど世界中の国々が、「ゼムリャキ」に対して熱心に支援活動を行ったそうである。しかし、現在、各国の支援団体は全て引き上げ、放っておかれた状態、忘れ去られた状態だそうである。その中で、唯一、日本だけが細々と支援を続けているそうである。「えんどうまめ」代表の石川さんによると、各国の人達は、地震や津波の被害援助と同じような感覚だそうである。それらの災害は、ある程度時間が経つと自力で復興できるため、それと同じような感覚での支援活動だったそうだ。ところが、日本は、広島や長崎に原爆が落とされ、被爆した人たちがその後も一生苦しむということを知っているため、未だに支援が続いているそうだ。しかし、支援の現状として、定期的な検診と薬を買うお金の援助が行われているが、ゼムリャキ事務局が間借りしている幼稚園の一屋の家賃を払うのが精一杯で、充分な薬を買うところまでは至っていないそうである。そこで、NPO代表の石川さんがヨーガ療法により、人間の免疫力を高めることが出来る可能性や、遺伝子レベルから良い状態に変えることの出来る可能性を知り、しかも、お金が掛からず、設備も初期投資も何も必要ないということで、木村先生にヨーガ療法士をウクライナまで派遣して欲しいと要請をしたところ、二つ返事で快く引き受けてもらい、今回のことが実現したということである。
ゼムリャキ事務所に到着したところ、もみくちゃにされるくらいに歓迎された。それほど、石川さんたちの支援を必要としていること、また、石川さんたちに対する厚い信頼を感じた。部屋に通されると軽い食事の用意がされていて、お酒も出てきたがヨーガ療法をする前ということでお断りして皆さんとの交流が始まった。集まったメンバーはこの団体を運営している主要なメンバー10名ほどであった。年齢は50才前後の女性ばかりであった。軽い食事を取りながら、この団体のことやメンバーの皆さんのことを色々と聞かせていただき、この後のヨーガ療法を行うときの参考資料も仕入れていく。みんなとても元気そうで、明るく見えるが、体の調子は悪いということである。最初の予定では、食事が終わってから、プロジェクターを使い映像を映しながらヨーガ療法の話をしていこうと考えていたが、先に、この場で伝えた方が良いと思い、話をさせてもらった。すると難しそうなポーズの形を真似して「こんなのをやるんですか」と何人かが冗談で言って、こんなの出来ないというジェスチャーをしたので、形が上手く出来ると効果が出るとか、ポーズの形が効果を出すのではなく、客観的に自分を観ることが出来るようになると健康につながっていくこと。被爆して遺伝子が損傷してガンになるリスクが高くなっていても、そのリスクを減らすことができる可能性があるということ。また、免疫の働きを高めることが出来ることも伝え、広島で6歳のときに被爆され現在69歳になる滝川さんのケースを話した。滝川さんがヨーガを実習して、自分を客観視することができるようになり、心がどのように変化していったか、健康状態がどのように変化していったかを話した。また、日本は地質的にとても不安定な場所に位置するため、常に地震に見舞われ、阪神大震災の時は一瞬にして5000人の人が亡くなり、台風で毎年、何人もの人が亡くなるとか、家は木で出来ているため火事に見舞われたりと、ある意味とても自然条件が厳しいところにあると伝えた。そのため日本人は自分を静かに観ることができるようになり、色々な問題を克服してきた。そうして自分に色々な問題が降りかかってきた時に、その問題に巻き込まれずに、自分を冷静に観る目を養うということが問題の解決につながることを伝えた。また、不安や恐れ、抑うつ感などのストレスが、どれほど肉体の健康を損ねるかを心身医学で言われる心身症の各症状を具体的に上げ、また、ヨーガをするとそうした心の中の否定的な感情がなくなっていくことが九州大学の研究で明らかにされたこと、心身症のリスクを減らすことが出来ることも伝えた。その後になって初めて、最初は何も言わなかったのに、実は、リウマチなんですとか、糖尿病ですとか、喘息なんですとか、アレルギーですとか、私は冠動脈疾患ですとか、そういう話が次々と出てきた。心身医学で言われる心身症を患っている人がほとんどであった。みんな健康状態が悪いとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。 その後、片づけをして、プロジェクターを使って、まず、広島の滝川さんのインタビューのVTRを見ていただいた。そして、実技で行う予定になっているサイクリック・メディテーションの説明をした。出発直前に作成していただいた資料に沿って、3つの項目を説明した。1つ目は、島根難病研究所の亀井勉先生が行った呼吸法で免疫の働きが良くなる研究結果を話した。免疫力が低下している人は、免疫の働きが高まり、逆に、過剰に働きすぎる人は、低下して正常な状態になることを伝えた。次に、去年2008年の7月にハーバード大学医学部の発表で、ヨーガをするとストレスによりスイッチが入った悪い遺伝子のスイッチが切れるという論文のことを紹介した。その後、昨年、仙台市で行われた日本ヨーガ療法学会研究総会で発表された九州大学大学院医学研究院心身医学の吉原一文先生の「ヨーガによるストレス感受性およびストレスマーカーの変化」という研究で、今から行うサイクリック・メディテーションによって、心の中の怒りとか、恐れ、不安感、抑うつ感など、ネガティブな感情が減っていき、逆に、活力が上がり、心の状態を健やかにさせることができるということも伝え、精神神経免疫学で言われる心と自律神経と免疫力の相関関係を伝え、心の肉体に及ぼす影響を説明した。そのあと、吉原先生が学会で発表されているVTRを見ていただく。その後、九州大学の医学部心療内科教授、久保千春先生が行われたネズミを用いて食事を変えることによって寿命がどう影響を受けるかという研究内容を伝え、生活習慣の重要性を伝えた。一通り説明してから、東京の吉田秀仁先生等から寄付して頂いたヨーガ・マットを敷いて実技に入った。
 ヨーガ療法実習では、竹内さんにロシア語で通訳してもらいながら進めたが、前日の音楽学校では上手くいったのに、こちらでは、どうも上手くいかない。中年のおばちゃんたちが口々に色々なことをしゃべって収集がつかなくなる。息は吸う前に吐くのかとか、腕を上げる速さはどうするのとか、回数は何回やればいいのかとか・・・。とにかく、ちゃんと説明しているので、こちらが言っていることを落ち着いて聞いて欲しいと思うのだが、次から、次へと質問をしてくる。後で、石川さんから聞いたのだが、それはみんな必死になって覚えようとしていたからであった。そのようなことがわからなかったので、もうちょっと落ち着いてくれないかと思っていた。そこで、愛知県在住の認定ヨーガ療法士大橋純子先生が自らモデルになり、ご自身の生徒であるトーニャさんにロシア語のインストラクションを入れさせて作製したDVDをプロジェクターで映して、それを見ながら実習してもらうことにした。注意事項として、ポーズの形が上手く出来ると効果が出るのではないので、出来るところまででよいことを何度も繰り返し伝えた。それより、自分の体の状態をよく意識することを、自分のペースでよいことを伝えた。しかし、どうしてもDVDの映像のようにしようとしてしまい、どうも上手くいかなかった。それでも、一通り実習し終えたあと、やり方についての質問が出て、覚えて続けてやっていきたいという気持ちを感じ、手ごたえを感じた。この日は遅れてきた人も含めて15名の人が受講した。全員女性である。次の日は、帰国前日のため、ペチェールスカ大修道院などの世界遺産などの観光が予定されていたが、岸先生や石川さんと相談しながら、みんな思いは同じで、急遽、観光を取りやめ、次の日の午前中にもう一度、サイクリック・メディテーションを指導させていただくことになった。
 その後、ゼムリャキの人達が手作りで食事を作ってくれて夕食をご馳走になった。とても美味しかった。その後、ゼムリャキの人達がプレゼントしてくれた、教会で行われるクラッシックコンサートに行った。キエフ市内にある歴史を感じさせる古い教会で、着飾った人達に混ざって、前から2列目の席でバロック音楽の鑑賞となった。しかし、この日も疲れのためか気がついたら私たち5人とも強烈な睡魔に襲われて寝てしまった。こんな機会はまたとないことなので、とても悔しかった。

4日目〉129日(金)

 この日も朝10時に、昨日約束をしたゼムリャキにヨーガ療法の指導に向かう。昨日参加した人5名と、初めての人5名(男性1名)の10名の受講であった。昨日、通訳を通しての指導では難しさを感じたため、ロシア語に吹き替えたDVDを映しながら、適宜、コメントを加えて行うことにした。しかし、昨日、預けたDVDを保管している事務所の引き出しの鍵が開かなくなり、取り出せなくなってしまったと言われる。コンピューターに入れているものは修正前のものであるため、どうしようかと焦った。岸先生と相談して、もう一度、通訳を通してやることにする。その前に、初めての人が参加されているため、サイクリック・メディテーションの効果について映像を使って説明し、さらに、途中で昨日のように混乱しないようにモデルを見せながら、①形を上手にしようとせず、出来るところまでが良い。②緊張と弛緩の連続したサイクルに意識を向けること。③緊張と弛緩のサイクルを意識することの意味。④ポーズ中の意識化を具体的にどのようにするのか(筋肉や血流、血圧、心臓の拍動、神経などの状態)。を伝え、今から行う5つのポーズの形を見せて、どんなことをするのかイメージが持てるようにした。
自分なりに入念に準備をしてから実技に入るが、どうもしっくりと行かなかった。そこで、「吸う」と「吐く」の言葉だけロシア語で教えてもらい、そこだけロシア語で言うと上手くいくようになり、通訳の竹内さんとのコンビネーションが上手くいきだした。竹内さんの通訳はとても優秀で、みんなが静かに自分を観ながら行っている様子が分かり、やっと伝えたかったことが上手く伝わったようであった。
終わってから、また、来て欲しいと言われた。きちんと習ったことを続けてやるから、上手く出来ているかどうかを見に来て欲しいとのこと。日本から14時間かかるため気軽にというわけにはいかないが、是非、何としても都合をつけて再訪したいと思った。
ゼムリャキを後にして、そのあと、キエフ市内にあるチェルノブイリ博物館へいった。たくさんの資料と展示物、事故当時のビデオの上演などもあり、事故の想像以上の悲惨さが伝わる。原子力は人類にとってリスクが大き過ぎるのではないかと感じた。
この後、初日に歓待していただいたウクライナ・ドゥリュージバの方々が、ウクライナの民族風レストランで帰国前の食事会を開いてくれた。内装は田舎風でウクライナの首相が親しい人を連れてくるような所とかで、とても豪華な食事が用意されていた。現在、ウクライナの経済は破綻しかかっているそうである。代表のマクハ先生やビクトル先生は市内の国立病院に勤務されているが、予算が回ってこないために薬も満足に買えない状況で、ビクトル先生の病院は昨年秋に給料が支払われず大変な思いをされたそうである。それなのに私たちに豪華な食事を振舞ってくれました。とても複雑な気持ちになったが、美味しくいただいた。食事の席では、こちらの風習なのか、頃合いを見計らって1人ずつ何か一言ずつしゃべっては乾杯した。これは相手のことがよくわかるのでとても良かった。
後から石川さんから聞いたことであるが、マクハ先生、ビクトル先生が、今度は自分たちの病院でもヨーガ療法を指導して欲しいとの要望が出ていたそうである。私たちに続くヨーガ療法指導ボランティアの人がでて欲しいと思う。

5日目〉130日(土)

 この日は、帰国の日である。ゼムリャキ代表のタマーラさんがマンションに迎えに来てくれた。みんなからのヨーガの質問を預かってきたと言って幾つか質問をされた。みんな本気でやろうとしていることを感じた。やはり、また来ないといけないようである。
 空港でまたの再開を約束して別れた。1315にフィンランド航空AY0077便でウクライナを発ち、往路と同じくフィンランドの首都ヘルシンキで関空行きに乗り換えて、次の日、日本時間の朝930、関空に無事、着いた。
 
最後に、今回のことを少し振り返ってみたい。私はヨーガを始める前までは、ボランティアをする人を見て、自分のためにならないことを何故するのか不思議であった。それまで自分が一番大事で、損することは絶対にやりたくなかった。ところが今回、被爆した人のために行ったはずなのに、実は、自分のためになっていた。とても不思議である。
 行く前、ウクライナの名前は知っていたが、具体的な場所は知らなかった。地図を見てみると、とても遠い国ということが分かった。ポーランドの隣にあり、フィンランドの真南にあたることが分かった。しかし、滞在しているうちに、とても遠いと思っていた国がとても近く思えるようになってきた。ウクライナの人というより家族のような感覚になってしまった。
日本を出発する前、現地の情報がほとんどわからなかった。どの程度の健康状態の人が参加するのか、はたしてヨーガ療法を受け入れてくれるような人たちなのか、また、集まってくれるかどうかも分からなく、最悪、観光をして帰るだけになるかもしれないとも聞かされていた。もしかすれば徒労に終わるかもしれなかった。しかし、ゼムリャキの人たちも、ウクライナ・ドゥリュージバの人たちも、音楽学校の人たちも、みんな暖かく迎えてくれた。当然、NPO法人「えんどうまめ」との信頼関係があるからではあるが、私たちを無条件で受け入れてくれていることがよくわかった。私は、今まで他人との区別がどうしても克服できなかった。ところが、今回、国が違っても、人種が違っても、みんな同じなのだという感覚になってしまった。ウクライナの人たちが心を開いて接してくれたので、自分の心が開いてしまったのかもしれない。
ゼムリャキの被爆した人たちは、国から保障は貰っているが、とても少なく満足に薬も買えない状況で治療の手立てもない。最初、世界中が支援をしてくれていたのに、現在、ほったらかしの状態である。近くに高層マンションが3棟建つため、間借りしている幼稚園から立ち退きを迫られている。事故から約23年経ち、忘れられた存在になっている。こうして本来であれば悲惨な状況であるはずなのに、みんなとても明るく暖かかった。自分に余裕など全く無いはずなのに、なぜ、人にそんなに暖かかくできるのか分からない。
帰国してから、自分の教室でゼムリャキのことを話しすると、ある若い女性が自分は収入が少なく余裕があまりないので本当に少ししかできないが、その人たちに何か支援させていただきたいと言ってくれた。その時、とても暖かい気持ちになった。こうしたような暖かい気持ちを今回、至る所で感じ、心がとても豊かになった感じがした。とても素晴らしいものを戴いてしまった。
今回は、本当に素晴らしい勉強になった。世間的には、そんな一銭にもならないことで喜んでどうすると思われるかもしれない。心の豊かさより、目の前の生活が大事で、そんなことは余裕ができてからすればよいと言われるかもしれない。大部分の人はそう言うと思うし、また、それがこの世間の“常識”だと思う。しかし、そうではないことを今回、ウクライナの人たちから教えてもらいました。
今回、このような貴重な機会を与えてくださいました木村慧心先生に心から感謝いたします。また、時間のない中でヨーガ・マット寄贈、DVD作製など指導準備をしてくださった、たくさんの方々、本当にありがとうございました。紙上を借りてお礼を申しあげます。また、小学校に入る前の3人の子供を世話しながら、ウクライナ行きを認めてくれた家内に感謝します。そして、今回、良い結果が出たのはチームワークが良かったからだと思います。メンバーのみなさん、本当にありがとうございました。また、このメンバーでキエフを再訪させていただきたいと思います。

〈メンバー〉
平和を願う草の根グループ「えんどうまめ」 2名 石川悦子氏 春木英治氏
ヨーガ療法学会  3名 古市佳也 森靖子 岸愛光
 
 
〈日 程〉
126日(日) 大阪(関西空港)   大阪 ⇒ヘルシンキ ⇒キエフ
127日(火) キエフ  ウクライナ第29音楽学校 ナイチンゲール合唱団にヨーガ療法指導
             オペラ鑑賞
128日(水) キエフ  ゼムリャキ事務所にてヨーガ療法指導
             教会でクラッシックコンサート(バロック音楽)
129日(木) キエフ  ゼムリャキ事務所にてヨーガ療法指導
             チェルノブイリ博物館
             レストランで食事(ウクライナ・ドゥルージバ)
130日(金) キエフ  キエフ ⇒ヘルシンキ ⇒大阪
131日(土) 大阪(関西空港)